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永島英明 野球の努力がハンドボールで花開く

アスリートが先生に/JFA『夢の教室』(2)元日本代表「目の前のことから逃げていたら、夢は絶対につかめません」

 「JFAこころのプロジェクト『夢の教室』」が10年を迎え、全国の自治体で活動が広がっている。スポーツ選手として活躍した様々な競技のアスリートたちが「夢先生(ユメセン)」として全国の小中学校に派遣され、夢を持つことの素晴らしさや努力すること、仲間と協力することの大切さを伝えるプロジェクトだ。

 日本サッカー協会の社会貢献事業として2007年度から始まった同プロジェクトは、主に全国の小学5年生が対象。10年間の実施回数は1万回を突破、夢の教室に参加した子どもの数は、実に30万人以上。夢先生を経験したアスリートの数は延べ1000人近くになった。

 1回目の記事では、元ハンドボール日本代表、永島英明さんによる「夢の教室」を例として取り上げ、ゲームの時間とトークの時間の冒頭の模様をお伝えした。この2回目の記事では永島さんの「夢トーク」の本題に入っていく。子どもたちの反応はどんな感じだったのだろうか。

(1)30万人の小学生に「生きる力」の種をまいた10年
(2)永島英明 野球の努力がハンドボールで花開く ←今回はココ
(3)川淵三郎「アスリートの言葉を子どもに伝えたい」
(4)子どもが夢を語ったら、最後まで話を聞いてあげて

空手と水泳は苦手だったけど、野球は最初からワクワクした

 「みんなと同じ小学校5年生のとき、ヒデちゃんはスポーツやっていました。さて、何のスポーツをやっていたでしょうか?」

 正解は水泳と空手、野球だ。空手を始めたのは「よくいじめられてケンカが弱かったから」。水泳は、「全く泳げなくて、水に顔をつけることすら怖かったから」だという。どちらも苦手だったから、習い事を始めてクリアしていったのだ。

 しかし、野球だけは違った。苦手ではなく、むしろ得意だったのだ。学校が終わると、グローブとバットを持って学校に集合して、草野球をやった。

 「ヒデちゃん、バンバン打つわけ。メチャクチャ、ホームランも打つ。球を投げても速いから、その地域では有名になるくらい野球はうまかった。ちゃんと野球を教えてくれるチームに入ると、ヒデちゃん、もっと野球がうまくなるんじゃないかと思ったわけ。そう思ったときに、ワクワクした。手に汗を握るくらい、想像しただけでワクワクした」

 小学5年生でリトルリーグのチームに入ったヒデちゃんは、家に帰ってからも毎日、素振りをしたり、壁当てで投球練習したり、走ったり……。ひたすら、努力した。しかし、小学校6年生になってもレギュラーになれないどころか、試合にひとつも出ることができなかった。

「努力することも一つの才能」と監督に教えてもらった

 「もうあかんわ。オレには野球の才能ないんちゃうかな?」と思い、野球をやめようと監督に話しに行った。「監督、僕はもう、野球をやめたい」とヒデちゃん少年が言うと、監督は「おまえ、才能あるで。おまえに何の才能があるか、オレはずっと見ていた」と言った。

 「監督は『おまえは絶対に手を抜かへん。走れと言えばちゃんと走っているし、家に帰ったらよう練習しているとお母さんから聞いている。毎日、素振りをしていることもな』と。そして、その才能とは何なのか。『おまえは努力をする才能を持っている。努力することも才能の一つなんだ』ということを監督に教えてもらいました

 努力する才能があるならもう1回、頑張ってみようと奮起したヒデちゃんは、中学3年生になったころ、ようやくレギュラーの座をつかんだ。チームも好成績を収め、大阪市内の野球の名門と言われる高校にスポーツ推薦で受験しようと思うまでになった。しかし、4校すべての受験に失敗した。

 「全くダメで、ヒデちゃんは『やっぱり、野球の才能がないわ』と思って、スポーツ自体が嫌いになった。ここまですごく頑張ったわけ。毎日、走ったり素振りもしたりしたのに、野球では名門校に行けない。誰も僕の野球の才能を認めてくれない。スポーツ自体が嫌いになって、ガクンと落ちます」

 そう語りつつ、永島さんは、黒板の夢曲線に下降線を描いた。野球で2度目の挫折。ところが、普通に受験して合格した高校で大きな転機が訪れることになった。

次ページ 「おまえ、それはハンドボールする手や...

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アスリートが小学生に人生を語る JFA『夢の教室』

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