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専業主婦から、看護の道を経て、国会議員へ

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専業主婦から、看護の道を経て、国会議員へ

「女性がいつでも再挑戦できる社会をつくりたい」衆議院議員・木村弥生さん

子どもの中学受験後、看護の道へ進むためにと慶應義塾大学看護医療学部へ進学した木村弥生さん。40代で看護師になり病院や日本看護協会で勤務した後、衆議院議員に初当選。先週になって急遽発足した「待機児童問題等緊急対策チーム」の座長も務めています。私が弥生さんに出会ったのは7年ほど前。児童虐待を未然に防ぐ保健師さんの取材がきっかけでした。「私みたいな人もいる。人生は何歳からでも再チャレンジできると伝えたい」という現役共働き世代への強いメッセージと共に、波瀾万丈の半生を語ってくれました。

インタビューを動画でご覧いただけます(3分09秒)

鍵っ子だった私は、お菓子を作って待っている専業ママになりたかった

藤村 初対面のときに「私は息子が中学生になるまで、基本的には専業主婦をしていたんですよ」と話されていたことが、とても印象的でした。そのころ、私の周囲は働く母親ばかりだったので。

木村弥生さん(以下、木村) そうですよね。私は大学を卒業してすぐに企業に勤めたという経験がないんです。そこが弱いところというか、本音を言ってしまえば、“自分に欠けているもの”として、長い間ずっと抱えていました。

 大学卒業後は、当時は都議会議員だった父の事務所を手伝いながら、学生時代から付き合っていた人とすぐに結婚しました。その後、十数年を経て離婚することになるのですが、前夫からも「おまえは企業に勤めたことがないから……」とよく言われていたんです。息子は、25歳のときに出産しました。

 鍵っ子だった私は、専業主婦のお母さんというものに憧れていたのでしょうね。母は主婦というより政治家の父の秘書的存在で、常に二人三脚で、区議会、都議会、衆議院と階段を上りました。それはそれで良い話なのですが、私は自分の子どもが学校から帰ってきたら「おかえり」と言って、手作りのお菓子を出してあげる――、そんな専業主婦のお母さんになりたかったのです。

 ただ、私が通っていた中高一貫校は、とてもキャリア志向の強い学校でしたから、私が「専業主婦になりたい」なんて言った日には、もう同級生達からボコボコにされるように色々と言われてしまって。高校生くらいになると容赦ないので、口を利いてもらえないということもありました。そんな環境にあっても、専業主婦になる夢に向かっていったのです。今の私から見たら、本当に世間知らず。ここに連れてきて説教してやりたいのですが(笑)。

―― 専業主婦時代は、息子さんの小学校受験も経験されていますよね。

木村 専業主婦として、自己実現を求めていくと、子どもの受験に繋がっていくという部分も少なからずあるような気がします。私もすっかりお受験の世界にのめり込んで行きました。

 ただ、小学校受験には良いところもたくさんあるんです。その子どもが家庭でどれだけ手塩にかけて育てられたかを見られている。どこの塾に入れたから良いということではなくて、親がちゃんと日本の伝統的な季節行事や風物詩を教えているか。絵本をたくさん読んで聞かせてあげているかといった親の力量も問われるのです。


息子さんのために作ったカルタ

 当時の自分を振り返ると、とにかくわが子をきちんと育てることを自分のミッションだと信じていましたね。カルタを手作りしたこともありました。有名な文学作品の冒頭だけを書き出したもので、例えば『坊っちゃん』だったら「親譲りの無鉄砲で……」という一文を書き出して、自分で絵も描いて。自己満足の世界ですね(笑)。

 ちゃんと遊ばせることも大切だと思っていたので、よく学び、よく遊ぶことも心掛けました。息子が、ある学校を受験したときに「お母さんのどういうところが好きですか?」と質問され、「他の子はいつも忙しくしているけれど、僕はたくさん遊ばせてもらっている」と答えたと聞き、「なるほど、息子はそう感じ取っていたのか」と思ったのを覚えています。

 私のバイブルは自然の中で感性を育むことの大切さが語られているレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』。季節を感じながら遊ぶことは重要視していました。前夫は企業戦士でほとんど家にいなかったので、ずっと母子一体でやってきたという感じでしたね。


衆議院議員・木村弥生さん

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