社長は孤独 幼少期に身に付けた強さが生涯の力に
レナジャポン蟹瀬令子さん(上) 博報堂でコピーライターとして活躍。2度の出産、家族留学を経て、42歳で独立
1人で生きていける強さを身に付けた小学生時代
父親が生後8カ月のときに亡くなった蟹瀬さん。福岡県で母と兄と祖父母と親戚と一緒に暮らしていました。
「それぞれの大人の都合があり、子どもたちはその中で生きていかなければなりません。いかに心地よく生きていられるか考えた結果が勉強。勉強をしていれば誰も手伝えとは言いません。そのため、自然と成績がよくなりました」
小学生のときは、勉強も走るのも1番。一方、静かで一人遊びが好きな少女だったそう。
「他の人と話すのが苦手で、ピアノを弾いたり、本を読んだり、勉強をしたり。文章を書くのが大好きで、物語を作り、詩を書いていました。学校で1番をとっていると、いじめられることもあります。でも、いじめに対して鈍感で『とっても嫌なことをする人なんだな』と思っていました。マイペースでしたね」
6歳の頃から歌を習い、児童合唱団に所属。音楽に助けられたといいます。
「音楽が持っている歌詞やメロディなど、歌っているうちに嫌なことも『まぁ、いいかな』と思えました。そういう気持ちに芸術はさせてもらえたということが、いろいろな意味で社会に出ていくときの素地になりました」
小さい頃の経験は、その後の社長業に役に立っているそう。
「社長は孤独で、みんなの目が向いています。この人をえこひいきしているとか、この人だけしか仕事を渡さないとか、会社にはいろいろな思惑が渦巻いています。たとえランチに一緒に行ってくれる人がいなくても、1人で生きていけると思える強さがあれば大丈夫。小さい頃に1人でいても寂しいとも悲しいともいじめられているとも思わず、そのときに身に付けた強さが、生涯の自分をずっと支えていると思います」
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