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死を宣告された息子 勝ち負けの価値観と決別した父

(上)脳を失った赤ちゃん「2時間しか生きられなくても、産んでこの腕に抱きたい」

 もしも生まれてくる子が自分よりも長くは生きられない、短い命だと宣告されたら―。中島夫婦の長男・優大(ゆうだい)くんは生まれながらに脳に重い障がいを持ち、10歳でその生涯を終えました。「色々な不便はあったけれど、深い幸せな時間でした」と、いとおしそうにほほ笑む中島広数さん・幸恵さん。10年分の思い出と共に、優大くんの存在は関わったすべての人の中でいっそう輝きを増しています。

 優大くんの誕生直後に海外赴任を経験し、典型的な仕事人間だったパパと、自分よりも家族の幸せを最優先に、良き妻・良き母であろうとしたママ。優大くんと過ごした様々な経験や感情を経て、家族はときに壊れかけながら、夫婦の価値観も大きく変わっていきます。そんな中島ファミリーの歩みを2回にわたって紹介。今回は二人の出会いから、優大くんの誕生、海外での子育て、仕事人間だった広数さんの価値観が変わった瞬間までをたどります。幸せとは? 生きる意味とは? 子どもが健やかに成長するにつれて、時に見失ってしまいがちな「本当に大切なこと」について改めて考えさせられます。

(上)死を宣告された息子 勝ち負けの価値観と決別した父
(下)何者にもならなくていい、10年の命が教えてくれた

 2011年の春に10年の天寿を全うした中島優大くん。脳の発達不全により、大脳全体が欠損する「先天性水無脳症(すいむのうしょう)」という重い障がいを抱え、生まれる前には医師から「2時間も命がもたないかもしれない」と告げられました。妊娠中には幾度となく命の選択を迫られ、それでも、大切なわが子を産み育てることを選んだ幸恵さんと広数さん。医学の常識をはるかに超えた優大くんの「生きる力」から、深い幸せと様々な教えをもらったと振り返ります。

たとえ2時間しか生きられなくても、わが子をこの腕に抱きたい……

 東京外国語大学の在学中に出会った中島夫妻。同じ部活動の1年先輩でもある広数さんの猛烈なアタックの末に交際し、その後、広数さんが第一志望である大手食品メーカーへ就職。希望していた中国へ海外赴任が決まり、幸恵さんの卒業を機に結婚しました。

 当時、広数さん23歳、幸恵さん22歳。結婚後、程なくしておなかに命が宿り、新しい家族に順調なキャリアにと、すべてが幸せに満ちあふれていました。しかし、妊娠6カ月に差し掛かったある健診日に状況が一転。医師から「赤ちゃんの頭の成長が思わしくない」ことを告げられます。その後も注意深く健診が行われた結果、赤ちゃんの脳に異常が発生したことが明らかになりました。

 「赤ちゃんの大脳が壊れてしまい、脳質が髄液に置き換わるという重い障がいの可能性が高いです」「エコーを見る限り、脳が確認できません。水無脳症の可能性があります」


中島幸恵さん

 医師から告げられたのは、中島夫婦が初めて耳にする病名。「水無脳症? 何それ? なんでうちの子が? と、そこにある現実を前に言葉も出なかった」と広数さん。幸恵さんも「産婦人科の医師から、『無事に生まれたとしても、予後は短い。数時間かもしれないし、数年であることは間違いない』と言われ、目の前が真っ暗になりました」と、そのときの心境を語ります。

 脳が無くなった赤ちゃんは、それでも少しずつ成長している……。当時、新入社員で有給休暇が取りにくく、中国赴任前の出張で長期にわたり海外で過ごすことも多かった広数さんでしたが、幸恵さんは時間を見つけて何度も夫婦で話し合いました。あらゆる可能性と向き合った末に幸恵さんが出した結論は、「たとえ2時間しか生きられなくても、絶対に産みたい。無事に産んでこの腕に抱きたい」ということ。厳格な父の下で育ち、家族の潤滑油的な役割を幼い時期から意識してきた幸恵さん。自分よりもまず相手。いつも場の空気を読み、誰かを気遣う幸恵さんでしたが、そのとき「産まない」という選択肢が頭をよぎることはなく、内に秘めた芯の強さがありました。

勝ち続けることが幸せの証だったが

 順風満帆な自分の人生にいつか試練が訪れるかもしれない…そう予感していたという広数さん。一流の学校、一流の会社、円満な家族。どうしたら自身の父親に認められるかを常に考え、勝ち続けることが幸せの証しだと信じて生きてきたと話します。


中島広数さん

 「そんな僕に妻の意図や感覚は分からず、数カ月もの間を既に赤ちゃんと共に過ごし、その存在を体中で感じる母親だけが持つ母性のようにも感じました。ただ、妻の覚悟は伝わってきて、とにかく自分は彼女を支え、一緒にこの子を産み育てようと決めたんです」

 広数さんはラグビー部で培った根性と持ち前のポジティブさで「大丈夫、僕達ならきっと乗り越えられる」「神様は幸せな二人を空から見て安心して、この子を僕達に預けてくれたんだよ」と幸恵さんの思いを受け止めます。

 一方、幸恵さんは「夫は自分の子どもが重度の障がいを持って生まれてくることが想像できない様子に見えました。でも私は、産めば何とかなる、障がいが軽いことを期待するというふうには思えず、ただどんなことがあってもおなかの子を産みたかったんです」。幸恵さんにとってすべてを受け入れるということは「赤ちゃんを産む前から、その死を覚悟する」ということで、それは愛する夫とも共有することができない途方もなく苦しい決断でした。

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