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シュタイナー教育の普及に奔走 2歳児預け留学も

子育て・教育

シュタイナー教育の普及に奔走 2歳児預け留学も

子安美知子さん(上)シュタイナー教育を最初に日本に紹介/「ワーキングマザーの先駆者」が晩年まで燃やし続けた情熱

 2010年に美知子さんからいただいた年賀状には、「教育・福祉・農業などの暮らしと仕事の場をつくり、新しいまちを」「すでにシュタイナー学園とこども園が開園」「難航しつつ精一杯進みつつある」などと、「あしたの国」に関する思いや状況が記されており、衰えない情熱に驚かされました。

 昨春、久しぶりに美知子さんにメールしました。筆者は20年余り勤めた新聞社を退職し、ジャーナリスト活動をしながら社会人枠で早稲田大学大学院に入学。子育てとキャリアについて、美知子さんの言葉をじかに聞きたかったのです。美知子さんは、自身が関わった学校である「東京シュタイナーシューレ」の30年の記録を残すため、『日本のシュタイナー学校が始まった日』(精巧堂出版)の編集に取り組んでいました。83歳で持病もあるのに一人で出歩いていて、勉強会の帰りという美知子さんと早大理工学部のカフェで再会しました。

「元気に死ぬために充実感持って生きたい」

 67歳で大学の仕事を辞めて以降、どうしていたかを聞く と、「自由になったの」。シュタイナーの勉強会に参加し、カルチャーセンターの講師を務め、コラムを書き、夏はミュンヘンで過ごしていたそうです。病気も抱えていました。2012年、ドイツで肺血栓塞栓症に。フミさん、孫のナターシャさんら親族が現地にいて治療を受け、帰国しました。

 心臓弁膜症の持病もあり、「あなたは医療の取材をしているから分かるわよね」と言って、症状や薬のこと、スポーツジムで続けた運動療法のことを詳しく説明されました。ドイツで出会ったシュタイナー系のドクターを信頼し、「心臓の手術をしない」と決めたことも。

 少しずつ、心臓が悪くなることは分かっていたようです。「やりたいようにわがままに生きてきて今年、84歳になる。娘との葛藤や職場の悩みもあったけれど、夫はできた人でね。私は今は現世の欲はなくて、おいしいものを食べたい、友達とおしゃべりしたい、ってぐらいなの。元気に死ぬために毎日、充実感を持って生きたい」。こういった死生観の話をしていても、美知子さんのユーモアがさく裂。「現世で一つ気になるのは、部屋が汚いこと。とりかかっている本を出したら、今度こそ片づけたい」と語っていました。

産後の職場は「解放区」だった

 生い立ちと仕事のキャリアについてもそのとき、改めて聞きました。1933年、京城(ソウル)生まれ。父は経済学者。戦争が終わり、小学生のときに帰国しました。「民主主義、自由、男女同権を与えられて、中学から大学まで謳歌できた」。幼いころに実母を亡くしたものの、学生生活を楽しみ、恵まれた環境だったようです。

 進学した東京大学では学生運動にもどっぷり。小説家やジャーナリストを目指し、ドイツ文学に興味を持ちました。当時、女性は東大卒であっても働き口が見つからず、図書館や秘書の仕事を紹介されたといいます。その後、大学院に進み、女性の解放運動家・平塚らいてうをテーマに修士論文を書きました。

 同じ東大出身で思想史の研究者である宣邦(のぶくに)さんと結婚。「夫婦とも学生で、お金を稼ぐのが大変だった。東大生の家庭教師、ってチラシを作って夜中に貼って歩いたの。人気になって、部屋を借りて教室を始めたのよ」

 いくつかの大学で、非常勤講師としてドイツ語を教えました。早稲田大学に語学研究所ができるというので声がかかり、65年から専任講師に。当時、フミさんが生まれたばかりで、どれだけ大変だったか聞くと、意外にも「(出産後の職場は)解放区だった」といいます。

 学閥、性別、国籍を問わない職場で女性が多かったそうで、会議をしていても夕方になると「子どもの迎えに行きます」という男性がいました。宣邦さんの実家近くへ引っ越し、身内の手を借り、宣邦さんが研究室にフミさんを連れて行く日も。

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